山陽電鉄バス

山陽電鉄の自動車部が運営するバス。一般的に山陽バスと呼ばれる。 その路線は神戸市垂水区内全域が中心で、他は須磨区と西区、明石市の ほんの一部だけ越境する、完全に神戸市垂水区民のためのバスとも言える。
運賃は、朝霧駅〜伊川谷高校前の系統を除いて、全線均一の200円。 ただし、名谷線の名谷駅と国立病院下停留所での乗降に関しては、神戸市バスとの 調整運賃区間になるため、その停留所発着の運賃は別になるのであるが、現在、神戸市バスも 200円均一運賃となっているために、全線均一が通用している。


山陽バスの歴史
山陽電鉄バスの歴史は、昭和11年5月1日、神明自動車の垂水駅前〜神戸高商前 (現在の星陵高校前)の路線、車両、車庫を譲り受けて営業を開始した。
この路線は、もともと明石と三木とを結んで走っていた明美自動車(のちに神姫バスに吸収合併)が 運営していた路線であったが、昭和6年から神明自動車が引き継いで運転されていた。
神明自動車は昭和4年に設立されたバス企業で、神戸市内から明石に至る路線を持ち、 神戸市民からは「銀バス」の愛称で親しまれてきたバスであるが、 昭和18年2月16日、神明自動車は須磨を境に須磨以西の路線を山陽電鉄に、須磨以東の神戸市内の 路線を神戸市営バスに路線、施設などを譲渡し、会社は解散てしまう。
戦局の悪化で全路線で運休していた路線も、昭和22年3月から、須磨〜明石間の国道路線で復活。 以後、積極的に路線開設を図り、昭和23年6月には高丸〜奥畑間、昭和29年には、明石駅〜東二見間などが開通、 また、山陽電鉄沿線のみならず、明石駅〜西脇、網干駅〜山崎など、東播、西播中央部への路線も開設した。 しかし、昭和30年代の末になると、これら比較的距離の長い路線は神姫バスなどとの競合もあり廃止に追い込まれ、 現在のように、垂水区内を中心とした路線のみとなってしまった。
また、今年4月には、明石海峡大橋を経て淡路島や徳島への路線が開業予定と明るい話題がある 一方で、平成元年から新規参入した夜間高速バスは、熊本と東京立川への路線を伸ばしたものの、 どちらも震災以後、やはり他社同様に業績は思わしくなく、今年3月には熊本線を休止し、残るは立川線のみとなった。 立川線のほうは、明石海峡大橋の開通もあり、東京多摩地区の観光利用で増車を出すこともあるようであるが、 高速バス事業については、4月6日に開業した淡路・徳島路線に希望をかけているようである。現在、神戸三宮と学園都市駅から、徳島、洲本への高速バスと、 高速舞子から岩屋ポート、道の駅あわじまでのシャトル便を運行している。

【山陽バスのウラ】

  • ツーマンカー
    バスと言えば「ワンマンカー」(運転手のみが乗務するバス)が基本ですが、 山陽バスが全車ワンマン化を達成したのは、なんとつい最近、97年5月のこと。 それまで、垂水線(垂水駅発着の路線)のいくつかの系統には、車掌さんが乗務していた。 ラッシュ時には、なんと地元学生のアルバイト車掌までもが乗務していたのです。 運賃の授受、車内放送、ドアの開閉と、アルバイトも社員並に扱っていました。 これも途中の商大筋と呼ばれる道路の幅が狭かったせいなのですが、昨年のGW前頃に 道路の拡幅工事が完成したことで、すべてがワンマン化されました。 恐らく車掌が乗務するバス路線は、これで県内からは消えてしまったと思われます。
  • 乗降方式
    山陽バスでは10数年前に舞子線、朝霧線などで従来の前乗り後降り方式を 後乗り、前降りに改めたが、垂水線や名谷線などでは相変わらず従来通り。 それが97年の垂水線ワンマン化で、垂水線も舞子・朝霧線と同様に後乗り、前降り方式(運賃後払い)に 改められた。 しかし、名谷線では今まで通り前乗り方式が続いている。同じ会社で路線によって 乗降方式が違うところは、かつて、神戸市バス、明石市バス、近鉄バス、京都市バスなど 近畿でも各地で見られたが、近畿圏内では、もう山陽バスだけではないだろうか・・・。




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