阪神電鉄バス 大阪ローカル線
(野田阪神前〜阪神杭瀬駅北〜西大島〜阪神甲子園)
野田阪神前から国道2号線、小曽根線、旧国道を通って阪神甲子園までを走る。

【路線概要】
大阪ローカル線という路線名であるから、ものすごく本数の少ない路線かと思われてしまうが、 現在でも1時間3〜4本程度の本数を維持しており、ローカル線の名には不釣り合いな路線ではある。 そのせいか、この路線は別名、野田甲子園線とも呼ばれている。
阪神甲子園ゆきのバスは野田阪神前バスターミナル2番乗り場から出発し、 国道2号線を走り出す。この路線も他の路線と同様に国道2号線の渋滞によって、 朝から夕方まで頻繁に延着する路線であるうえ、97年春に開業したJR東西線への乗客の転移があって、 ただでさえ少なかった利用者が、さらに減少してしまった。
左門殿川を渡り、尼崎市内へ入って2つ目の阪神杭瀬駅北停留所から出る宝塚ゆきのバスには乗客も多く、 立ち客も出るが、この阪神甲子園行のバスに乗る人は少なく、たとえ満席状態になっても、 その大半の乗客は西大島までで下車してしまう。
武庫川に架かる武庫大橋を渡り、戸崎町交差点でバスは左折し、市道小曽根線を南進。 その頃には、乗客もまばらになってくる。
小松北町を出て、旧国道を西へと右折し、阪神甲子園も間近。 この付近の旧国道沿いには路上駐車する車や、その車の間から自転車・歩行者の飛び出しが多く、 バス運転士にとっては、もっとも神経を使う区間らしい。旧国道ではバスも速度を抑え気味で走っている。
甲子園六番町停留所を過ぎ、甲子園筋へ左折すると、いよいよ終点の阪神甲子園にたどり着く。 野田阪神前からの所要時間は約45分前後、走行距離は13.5Kmである。




【運行状況】

朝ラッシュ時は10〜12分間隔、昼間16分間隔、夕方は14分間隔程度で運転されており、 決して運転本数は少なくはないが、国道2号線でおこる渋滞のため、20分以上の間隔が 開いてしまうこともある。やはり他の路線と同様に渋滞時には、臨時便を出して定時運行につとめる路線だ。
昭和50年代半ばに大幅なダイヤ改正があって以来、ここ20年間は目立って大きな減便などは行われていない。 しかし、最近の利用状況からすると、今後は運転間隔の拡大や、 昭和50年代半ばから無くなっている阪神杭瀬駅北での折り返し便復活で、 ダイヤの乱れの元凶ともなっている野田阪神−阪神杭瀬駅北間の大幅減便など、 多少の減便が実施されるのかもしれない。
また、早朝に限り、国道2号線の上甲子園発野田阪神ゆきが片道1本のみ運転されている。 この区間の路線は阪神電鉄国道線(併用軌道線)の代替路線の名残で、 昭和50年5月に開設された路線だ。 阪神国道線が廃止された直後には、朝と夕方にそれぞれ数本ずつ運転されていたが、 利用者の減少から減便され、今ではこの片道1便だけが残っている。

【大阪ローカル線の歴史】

大阪ローカル線は、当時、大阪〜神戸間を直通運転していた大阪神戸線の補助的な役割を果たす路線として、 昭和37年7月に開設された。
昭和42年には、梅田新道または内本町バスセンター〜神戸税関前間を走っていた大阪神戸線が、 尼崎〜神戸間に区間短縮されたのを機に、内本町バスセンター〜桜橋〜阪神甲子園間の路線も開設されたが、 数年で廃止され、もとの梅田新道〜阪神甲子園間のみの運転となった。
高度成長期に入って以来、大阪市内での交通渋滞は激しくなる一方で定時運行確保が難しくなった上に、 乗客の減少によって、昭和49年には、阪国バス時代以来40年以上もの間、大阪側の起点であった梅田新道への乗り入れを廃止し、 現在のように野田阪神が大阪側の起点となった。
また、昭和50年5月には阪神電鉄国道線の廃止に従い、朝と夕方に上甲子園〜野田阪神前間の新系統開設や増便を実施したものの、 利用者が定着せず、上甲子園系統は数年のちに現在と同じ片道1本のみの運転となって現在に至っている。


【運転本数】
運転区間運転本数
平日土曜日休日
野田阪神前〜阪神甲子園往路56
復路57
往路56
復路55
往路50
復路50
野田阪神前〜上甲子園往路 0
復路 1
往路 0
復路 1
往路 0
復路 0
野田阪神前〜西大島往路 4
復路 2
往路 2
復路 2
往路 1
復路 1
野田阪神前〜尼崎浜田車庫前往路 2
復路 2
往路 2
復路 2
往路 2
復路 2
尼崎浜田車庫前〜阪神甲子園往路 2
復路 2
往路 2
復路 3
往路 2
復路 2
【運賃表】
野田阪神前
 200歌島橋
 200 200阪神杭瀬駅北
 230 210 210難 波
 230 230 210 210西大島
 250 230 230 210 210阪神甲子園・上甲子園


データはいずれも1999年2月現在。

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