平日は1日3往復のみ運転し、臨港線を走る路線。 【路線概要】 この路線、西宮尼崎線と言うことからもわかるように、阪神西宮と阪神尼崎とを結ぶ路線。 主に阪神電鉄以南の南部地域を走り、昼間に1日3往復(休日は4往復)のみが運転されている。 このバスの主な経路が、通称臨港線(県道)であるため、バスの路線名も俗称で「臨港線」と 呼ばれることもある。また、バスの行き先方向幕も、98年の運転再開時から、臨港線経由と入った文字を入れ、 方向幕もオレンジ地に白抜き文字に変えられ、また、車体側面にも乗り間違えを防ぐため、 経路を示したステッカーを貼り付けている。(運用の関係か、貼り付けていないものも走っている) バスは阪神西宮の鷲林寺線乗り場と同じ、バスターミナル外れ(タクシー乗り場北側)の 7番のりばから出発する。ちなみに、かつてはバスターミナルの3番のりばから発車していたが、 98年3月、西宮浜手線の西宮浜マリナパーク路線開設による増便のために、 運行再開後から運転本数の少ない西宮尼崎線がターミナル外の7番乗り場へ追いやられてしまった。 阪神西宮を出ると国道2号線を東へ進み、JR西宮駅前の交差点で福祉センター筋を右折。 JR西宮駅前バス停は、福祉センター筋沿いにポツリと立っている。 (阪神尼崎発のバス停は、交差点南西の国道2号線沿い) 津門西口バス停から鳴尾御影線を東進し、阪急高架手前の今津西線で右折、かつてはそのまま 直進していたが、20年ほど前にルート変更されて現在のように今津駅方向へと向かうようになった。 阪神今津駅前を過ぎ、高架化工事が進行する阪神電鉄の線路を越え、 今津出在家町から臨港線(県道甲子園六湛寺線)、南甲子園交差点から中津浜線を南進し、 途中東へ方向を変え浜甲子園へ、そして甲子園筋を北上して阪神甲子園に到着する。 阪神甲子園からでも、ほとんどの場合客は乗らず空のまま発車し、再び来た道を通って 甲子園九番町交差点で臨港線を東進。 南武橋を越えると尼崎市の南部工業地帯へ入り、道意、高洲、出屋敷、 そして昭和通バス停を過ぎると右折して国道2号線に入る。 あとは神戸線や宝塚線の阪神尼崎行きと同じコースで難波、東難波と過ぎ、 国道2号線の十間交差点を右折して、阪神尼崎に到着。 走行距離は13.7Km(復路14.0Km)、阪神西宮から阪神尼崎までの所要時間は48分 (復路51分)である。 【運行状況】 運転本数は平日で1日3往復、休日は4往復、平日の発車時刻は阪神西宮発で 10:00、12:35、15:00発。阪神尼崎発が、10:46、13:31、15:56発。 阪神西宮を出たバスは阪神尼崎で、またそのまま戻る形の運行形態になっている。 昼間しか運転されていないことからわかるように、通勤・通学では使われず、 地元のごく一部の利用者にしか利用されないような路線であるが、運転本数の少なさと 地域の人口減、高齢化、企業の衰退などもあって、ほとんど利用する人もいない状態。 震災後の一時期、震災復旧工事など道路工事の関係で、運休が続いていたが、 98年3月から路線を復活、震災前と同じ経路・時刻で運転され、現在に至っている。 震災後も相変わらず乗客がほとんどおらず、阪神西宮から阪神尼崎まで、 終始乗客ゼロのことも多いようである。 【西宮尼崎線の歴史】 この路線、 鳴尾東浜(現在の武庫川団地中央付近)から高洲、出屋敷を経て尼崎辰巳橋へ至る 出屋敷線(昭和33年開設)、同じく、鳴尾東浜から野田阪神前へ行く野田鳴尾線(昭和33年開設)、 阪神西宮から阪神甲子園までの西宮甲子園線(昭和35年開設)が統廃合され、 阪神西宮〜北杭瀬(現在の阪神杭瀬駅北)間の西宮杭瀬線として、昭和36年9月1日に開設された。 昭和42年には、これまでの北杭瀬から阪神尼崎へ後退して路線名も西宮尼崎線となり、 また、朝夕に運転されていた鳴尾東小学校から中川(現在の上田西町)・洲先経由の便を廃止し、 現在のルートに近い状態になった。 当時は、阪神尼崎、出屋敷、阪神甲子園、阪神西宮などから臨海部への通勤客や住民の利用も多い 路線であったが、昭和40年代末期からの人口の減少と、臨海部の工業衰退が顕著となり利用者が激減してくる。 また、昭和55年には阪神電鉄の久寿川駅西側踏切の立体化工事が行われるのに従い、 経路を阪神久寿川経由から阪神今津経由に変更し路線短縮するとともに、 運転本数も半減、さらに昭和57年頃には現在と同じ平日1日3往復の運転本数に激減することとなる。 阪神大震災直後には、通行規制による渋滞、復興工事による悪条件のために運行を休止し、 それから3年が過ぎた平成10年3月に運行再開し、現在に至っている。