さよなら 阪神パーク

阪神パークの黄金期

阪神パークの黄金時代
昭和39年、海洋汚染がすすむ甲子園浜海水浴場にかわるものとして、甲子園デラックスプールが開設されます。 阪神間でも有数規模のプールということもあり、大勢の人々で賑わっていました。 海のように波が押し寄せる造波プールが自慢のプールで、私も小学生時代には何度か友人と行ったことがあります。 また、シーズンオフにはデラックスプールのプールサイドなどでは色々な催しが開かれたりしていたのを記憶しています。
昭和46年からはドーム(テント)型のアイススケートリンクが開設されるようになり、 四季を通じて楽しめる遊園地として阪神パークは黄金時代を迎え、昭和48年には年間入場者が135万人に達します。
この頃の阪神パークにはよく行きました。 モノレールに乗るのに30分くらい待ったなんて言うと、今の状況からはとても信じられないけれど、 乗り物に乗るのに10分待ち、20分待ちは当たり前の時代でした。
園内にある食堂は人でごった返していて席が空かない。空いた席に座って注文しても、なかなか注文した物が出てこずイライラしたり…。 催物館では春になると数々のイベントがありました。 個人的には昭和50年頃に開かれた「驚異の世界展」というのが今も印象に強く残っています。
そして毎年秋になると菊人形が始まり、関西における菊人形は、枚方か甲子園かと言われていたほどでした。


当時はこんな物もありました

【プラネタリウム】…阪神パークの中にプラネタリウムがあったとは信じられないでしょうが、ありました。 円錐形の建物で、規模はそれほど大きくなかったと思いますが、ちゃんとしたプラネタリウムでした。 ちなみに入園者は無料で入ることが出来たのです。このプラネタリウムは昭和50年頃に無くなったように思います。

【スケートリンク】…昭和46年から開かれていたようですが、私がはじめて行ったのは昭和50年頃に友達と。 当時はテント型のドームリンクでした。しばらくしてからオープンリンクになり、 中高生時代はよく行きました。3月の暖かい日に行くとリンクの氷が溶けてもうビショビショでした(笑)。 3年前の営業終了時には貸し出し用のスケート靴を無料でプレゼントしていたらしい…。

【ジェットスターU】…プラネタリウムが潰された跡に昭和51〜52年頃にできたと思うんですが、 これはジェットコースターでした。阪神パークにはこれまで絶叫マシンと呼ばれるような遊戯具が無かったので、 これがまた斬新でした。このジェットスターUがいつまで存在していたのかは不明。恐らく91年のリニューアル時に無くなったのかなと思うのですが…。

【びっくりハウス】…催物館の横にあった「びっくりハウス」。部屋が動き、また、周囲のミラーも回転するので、 まるで部屋が360°回っているような錯覚を覚える変な部屋でした。 私は5歳の時に姉たちに連れられて入ったのですが、目を回して歩けず、気分悪くしたって経験を持っています(^^;。 こんな目を回してしまったって経験は私の人生でこの時だけです。 このびっくりハウスは全国いろいろな遊園地にもあったようですが、 最近の若い子(20歳前後)何人かに聞いても誰も知らないと言われてしまった。(^^;

【急流すべり】…正式名称なんて言うのかわかりませんが、水路の上を船に乗って、 最後はダンダカダンダン…と高いところに登っていって急流をすべって水しぶきシャーッと上げておしまい。 この手の遊戯具は長島スパーランドとか、全国的にいろんなところにもありますが、阪神パークのは子供向けの規模の小さなやつでした。 水しぶきもたいしたことなかった。

【お化け屋敷】…阪神パークにも、お化け屋敷がありました。

【ヘリコプター塔】…これもいつ頃無くなったのか定かではありませんが、その残骸というか、塔だけは今も残っています。(右の写真)

【ゴーカート】…専用レーンを走るゴーカート。これは一度も乗ったことがなかった…。

【回転ブランコ】…なんか乗っていて風を切るようでとても気持ちよかったな〜。

【ボート池】…今はちびっこゴーカートになっているけど、そこには池があり、ボートがありました。

【風車】…今現在あるメリーゴーランドの位置には、でっかい風車がありました。いつ無くなったのでしょう?

【旧・モノレール】…これは私、見たことがないのですが、今あるモノレールより以前にもモノレールがあったようです。 私が物心ついた頃にはすでに無くなっており、残骸として高架のレールだけがしばらく残っていました。 園内の南東側を小さくぐるりと一周するものだったのですが、40歳以上の方なら覚えているでしょうか? ちなみに今のモノレールは昭和47〜8年頃にできたもので、今は機関車型をしていますが私らの子供の頃は流線型のやつでした。

【催物館】…当時から催物館と言っていたかどうかは不明ですが、催し物をする場所でした。春には特別イベント、先述した「驚異の世界展」だとか、 秋には大菊人形が開かれていたところです。

【演芸ホール】…これは今でも「ちびっこホール」として残っていました。 この演芸ホールでは昔、アニメ映画や東映のヒーロー物の映画・ドラマの上映や、 仮面ライダーショーが開かれたりしていました。改めて今、入ってみると結構狭かったんだな…と思った。

【阪神国道電車】…その催物館の隣には、昭和50年に廃止になった阪神電車の軌道線(国道線・甲子園線・北大阪線)の車両が2両展示・保存されていました。 スケートリンクがオープンする冬場には、その車両がスケート客らの休息場として開放されていて、そのせいもあるのか保存状態がとても悪かった覚えがあります。 残念なことに十数年後には車両は無くなってしまいました。なんとかして永久保存しておけなかったものなのだろうか…。

【モンキーパーク】…ゾウさんのオウチの2階にはモンキーパークという猿の檻がありました。 いろいろな猿が飼育されていました。あの猿たちはいずこへ…??

それから、こんな食べ物もありました。
【パンダ焼き】…モノレール駅下には、たい焼き屋があり、ちょうど「泳げたいやき君」のヒットと重なってたい焼きを買うだけに長蛇の列。 ブームが去ったあとはパンダ焼きになったのですが、なんで阪神パークでパンダなのだ?と疑問でした。阪神パークならレオポンだろう(笑)

【レオポンケーキ】…これは私、知りませんが、阪神パークの歴史展でそういうものがあったとの紹介が出ていました。 どんな味だったのやら…。

この日は天気も良くて大勢の家族連れで賑わっていました。それでもピーク時の昭和40年代と比べたら寂しい…。



ジェットコースターなどの遊戯具の多くは幼児から小学校低学年向けのものになっていました。




かつてのヘリコプター塔。塔の側面には、森永ミルクキャラメル…と広告が出ていた記憶がある。

ヘリコプター塔のヘリ本体。今は園内に休息施設として活用されていた。


子供汽車の円内にある『ちびっこゴーカート』。昔はここにはボート池があった。


回転ブランコの跡。


催物館。秋には菊人形が開かれていた


かつては演芸ホールだった


ちびっこホールの中。閉園となる3月30日まで『〜73年間の記憶〜阪神パーク歴史展』が開催されています。



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