毎週木曜、夜10時30分…。関西テレビ(フジテレビ系)のこの時間帯には、
阪急ドラマと言われる、阪急電鉄、阪急百貨店をはじめとした阪急系企業による提供ドラマが
スタートしました。
ドラマは30分枠で、午後10時半スタートという時間帯からみてもわかるように、
そのドラマの内容は、大人向きのホームドラマで、
ドラマの制作は放映している関西テレビと同じく、阪急電鉄系の宝塚映画製作所でした。
★ 阪急ドラマ、スタートの経緯
そもそも、この阪急ドラマが始まったのには理由があるようです。
1960年頃から始まった映画の衰退は、日本の映画界にとって危機的なもので、
国内の各映画会社もスタジオの縮小、専属俳優・従業員の解雇など、今でいうリストラを進め、
生き残りをかけようとしました。
宝塚映画製作所も例外ではなく、1968年に「河内フーテン族」を最後に、商業映画製作からは撤退し、
従業員の大量解雇を経て、テレビ映画制作に本格的に進出します。
しかし、単発ドラマの2〜3本を不定期に制作するようでは会社として存続できないわけで、
そこで親会社の阪急電鉄では宝塚映画の支援という形で、阪急電鉄、阪急百貨店など、
阪急グループ企業の提供による連続ドラマの制作が1965年からスタートしました。
連続ドラマと言うことで宝塚映画にとっては、いわば固定収入が確保されるわけで企業としては安泰。
阪急電鉄、阪急百貨店などの資本側としてはテレビCMによってもたらされる会社イメージの向上があり、
また、それらスポンサーのCMも宝塚映画が製作し、放映するのは同じ阪急系列の関西テレビ放送と、
まさにグループ一体型によるドラマ製作だったわけです。
★ 放送時間帯移動
これまで、木曜・午後10時半からという放送時間を「事件ですよ」から、
木曜午後7時というゴールデンタイムに移動。(関西テレビの放映時間)
さらに、いつしか放送日も木曜日から金曜日に変わりました。
また、関東地区をはじめとした他の地域では、この頃から放送時間が夕方や早朝に移行してしまい、
ネットしない地域も出てくるなど、関西以外の地域では、
まったくマイナーなドラマとなってしまったのもこの時代からでした。
この放映時間変更は、資本側の阪急電鉄の要求でそうなったのかは不明ですが、
これ以後からドラマの性質が大人向きから子供向きへと変わってきたのです。
★ 宝塚映画の解散・宝塚映像の設立
1983年、経営の行きづまりから宝塚映画製作所は解散し、宝塚映像という新会社が設立されます。
宝塚映画時代から続いていた阪急ドラマも宝塚映像で製作が引き継がれ、
「怪人二十面相と少年探偵団」から宝塚映像の制作として撮影が始まります。
そしてさらに10年の歳月が過ぎ、1994年3月、学校の怪談シリーズを最後に、
20年以上続いた阪急ドラマのシリーズはこれで終わってしまいました。
宝塚映像として再スタートして11年目のことです。
これは、バブル崩壊以後の不景気で会社の負債を清算していた阪急電鉄が
宝塚映像のために余計な金をかけていられないと判断したためでもあるわけす。
宝塚映像はそれ以後、阪急グループ提供の紀行番組の製作を請け負っていましたが、
阪神大震災でその番組も打ち切りとなり、従業員の自宅待機やリストラなどの策が講じられ、
テレビドラマ・テレビ番組制作からは撤退せざるをえない状況となり、
現在では、宝塚ファミリーランドでのビデオシアターの営業など、
地道な仕事のみを請け負っています。